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続「第九」

続「第九」

続「第九」

こんにちは「なないろ音楽教室」ヴァイオリン講師中陳です。

 先日の記事を書いてから 聴きに行きたくなり、

ギリギリ何とかチケットを取って聴いてきました。 

 舞台上はめいいっぱいオーケストラが使い、 合唱はどこで歌うのだろうと思っていたら パイプオルガンを背に、普段客席となっているところに 合唱団が並び、4人のソリストはその合唱団の前で歌っていました。

 久しぶりの第九、聴きに行くまでの時間もまた楽しいものです。

 遠足に行く前の小学生と同じですね。 年の瀬に心が洗われ帰ってきました。 

何度聞いても素敵な曲です。 

 さて、この年末に演奏されることで有名な第九ですが、

ヨーロッパでは特に年末に演奏するということはなく、

年末に演奏されるのは日本独自の習慣。 

第九が日本で初演されたのは1918年。 その頃は第一次大戦中、日本の至る所に捕虜になったドイツ兵が多数収容されていました。

 その中でも「奇跡の捕虜収容所」と呼ばれた徳島県坂東町にある坂東俘虜収容所。

当時は捕虜に対する暴行や、非人道的な扱いは禁じられており ドイツとは敵対位置にありながらも友好関係が続いていました。

地元住民とも親しい交流がありました。 

その一つとして、ドイツ兵が作ったメガネ橋。 

この時に伝えられた技術や建造物がいくつも残っています。

もちろん技術はもらうばかりではなく 日本もドイツに伝えたものはあったでしょう。 

 そんな中で第九が日本で初めて開かれたのが1918年6月1日。 

軍楽隊長のハンゼンが指揮し、演奏会が開かれました。 

本来の楽器が揃わず、ないものは他の楽器で代用、また女性がいなかったこともあり 男性合唱に置き換え、演奏されました。 

ここでお気づきのように、初演は6月。 

ではなぜ今は年末? 

 色々説があります。

 第二次世界大戦の12月、「歓喜の歌」は学徒出陣の壮行会で演奏され、

そして生還した学生達が亡くなった仲間の追悼のため再び12月に演奏したと言います。 これが定着したという説。 

他色々な説があるようですが、第二次世界大戦と関わりはあるようです。 

音楽の歴史も、広がり方も国それぞれ。人それぞれ。

 戦争を通して広がっていったというのも驚きではありますが、 何にせよ、良い音楽は語り継がれ、永遠と消えないということです。 

 クラシックの素晴らしさは何といっても何百年も前の音楽が 世界共通、

今も変わらず、人々の心を掴み繋がっているということです。

 この素晴らしさ、偉大さはもっとたくさんの方々に知っていただき、楽しんでいただきたい。 

その素晴らしさを感じることができる、心の拠り所となる、それを生徒さんたちに伝えることも、指導者の役割かなと考えています。